2009年7月9日木曜日

0. コーイチロー、作者を突っつく

□あらすじ
 高校二年生のコーイチローは、身体に人工心臓を埋め込んで、外部のコンピュータで制御されるという障害を抱えていた。そのコンピュータはインターフェイスとして疑似人格クアリスというシステムを持っている。そういった設定の二人が、この物語を執筆する作者についてのそもそもの評論を始める。(原稿用紙約15枚)
--------------------

 高校二年生のコーイチローが、所在なさそうに自分の部屋で、キーボードに向かってかたかた叩いている。
 そこに、<ユーザーインターフェイスエージェント>のクアリスが姿を現す。
 お爺さんと言うには気が引けるとはいえ、老年期に近い髪に白髪の入っているアバター姿で設定されており、執事姿の服装をしている。その姿は、そのシステムのディフォルトの姿で一般的には、様々な格好に修正するものなのだが、コーイチローはその姿を気に入っていた。
 クアリスは、コンタクトモニターを付けていれば、誰でも見ることができる。コンタクトレンズの中にコンピュータ画像を表示するシステムで、眼球に直接映像を映し込むために、空間と一体化している違和感のない印象がする。
 本来であればコンピュータグラフィックスの映像にもかかわらず、ほぼ実際に人間がその場所に座っているかのような印象がする。

 クアリスはモニターをのぞき込んむ。その気配に気が付いたコーイチローは、クアリスの方を振り返った。四畳半の自室の狭い部屋のなかに、タキシード風の格好をしているお爺さんがいる落差は、ギャップがあり、ちょっとばかりコーイチローは吹き出したくなるのだが、そういう所が、気に入っていた。
「今日は何の作業をされているのですか?」
 と、クアリス。
「んー、別に何か明確な目的を持ってキーボードを叩いているわけではないよ。くだらないメールが来てたり、SNSに書き込みをしたり。人が書いたブログを読んでみたりという感じ。そういうことをぐだぐだやっているだけでも、すぐに二時間ぐらいは過ぎてしまうからね」
「確かに、勉強をされているという様子には見えなかったですね」
「何か用? って、どこかから何かのイベントが起きないかってことを期待しているような感じかもしれないね。向こうからイベントがやってくれば、それに応対しなければならないから、何となく忙しいふりができるんだよね。こうして、SNSを見たりしているのだって、単なる時間つぶし。そこに意味があると信じて、そう思いながら本当は意味がないんじゃないかって、思ってる」
 と、コーイチローは席をぐるっと回して、クアリスの方を向いた。
「用ってほどのものではないのですけどね。我々の方から話を始めないと、また、動かないんじゃないかという、疑問というか、心配を感じているんですよ」
「ああ、作者のことね。相変わらずぐずぐずしているみたいだね。我々を表に出すと決めた割には、我々の話を実際に執筆する段になると、相変わらず迷ってる」
「ええ、先週は作者自身が体の調子を崩されていたので、少し同情できる部分もあったと思うんですよ。ただ、せっつかないと実際原稿を書ける時間は、残り一ヶ月ぐらいのものではないかと思うんですよ」
 と、クアリスは少し困ったような顔をしている。ただ、その困った顔は、コーイチローに向けた顔なのかは少しばかり怪しい感じがする。どこかの別の人間に向けたアピールのように見える。
「実際、甘え過ぎなんだよ、作者は。自分が実際には相当恵まれた境遇にもあるにもかかわらず、自分の才能が足りない、努力が足りない、アイデアが浮かばないとかとか、結局、何かと作業を進めようとしない。病気だって言い訳のように思えることがあるよ」
「さすがに、そこまでは言いすぎではないかと。私自身は、作者に少しばかり同情する部分はありますね。実際に体調が悪いときには、何も考えられないで動けない印象がありますからね」
「まあ、こうして我々が動いているということは、今日はちょっと体調がいいということなのかな」
 と、コーイチローはため息混じりに天井の方を見上げた。
「どうも、そのようですね。私も少しばかり心配していたのですが、昨日に比べるとだいぶよくなっているような印象も受けます」
「君らのビヨンドタイプのコンピュータは、僕の身体のいろんな部分をデータ化するための機能を持っている割には、僕らの上にいる『作者』のデータを取ることは出来ないんだね」
「はあ、それは難しいですね。私が自分のサーバシステムについての全貌を把握できないのと同じようなものです。私には、作者にアクセスする権利が認められていないのですよ。かといって、我々がまったく理解することができないかというと、そうとも言えないですね。天気を見上げるようなものです」
「まあ、いわんとしていることはわかる。今日は、何となく薄曇りというような感じが、我々のいるこの世界にも伝わってくるものね」
 と、コーイチローは、自室から見える窓に目をやった。外は白くたなびく曇が流れている。梅雨の終わりを感じさせつつも、日の光がかすかに感じられ、それは来るべき暑い夏を予感させるような天気だった。
「作者は、大きく振りかぶりすぎ……、なのじゃないだろうか。作者が大きな目標を設定して、そこに向けて努力を傾けていくタイプってことは、僕も知ってるんだ。作者が普段書いている原稿自体は決して悪いものではないと思うよ。ただ、我々のような架空の存在が登場するような物語に作者が向いているかというのが課題だと思うんだよ」
「そうですね。作者は、どうしても、物事を分析する能力に秀でていると思われますね。また、あまり欲が強くない。お金を得ることをよりも、教養を高めるというところにエネルギーを注いでいる。これは、昭和の時期ぐらいまでには見られた大学生のイメージを引きずっているように思えるんです」
「知識人……ってやつね。そもそも、そこが古い!」
 と、コーイチローは手にしたペンを、クアリスを指すようにくっと向けた。
「社会はずいぶんと変わったと思うなあ。教養を高めていけば、何かいいことがある。社会のために役に立つ。そう信じられていた時代が確かにあった。今の同人誌をやっている人たちの中に、儲けに走ることを嫌うのがいるのはそういう文化の残りじゃないかとさえ思えるよ」
「なかなか、時代評論としてはおもしろいことをおっしゃいますね……」
「うん、お金を生み出すことに絡まっていないと、結局は社会で物ごとを回すことができない。お金を安定的に生み出すにはコード層を支配するしかなく、そのコード層は作者にとって何か?という問題だと思うんだよ」
「コード層は、コンピュータのプログラムなど、他人が破壊できない法律的な意味を持つものですね。ウィンドウズといったOSで決められたルールは、日本の法律より影響力が大きく絶対的ですからね。ただ、マスターがここで言われているのはもう少しニュアンスが違うと理解してもよろしいですか」
「そうだね。コンテンツの制作者の場合には、安定的に収益を生み出してくれるような権利を持つ知的財産のようなものだよね。ずっと増販が続くような人気作品のようなもののことだよね。その何かだけによって、収益が安定的に出せるような何物かという意味だね。賃貸で人に貸している土地のようなものも含むといっていいのかもしれない」
「安定的に収益を生み出す資産ということですね。今は、一番収益を出す方法がコンピュータなどのコード層、特にインターネットに関わるものを押さえている場合が一番利益を生み出しますね。作者が生きている2009年年頃の例は、グーグルやマイクロソフトがその典型と申し上げてもいいかもしれないですね」
 と、クアリスがいう。
 クアリスだって設定上は、ビヨンドサーバ上の疑似人格だ。だから、コーイチローの身体を完全にコントロールするシステムでもあるわけで、自分のコード層はクアリスに握られているようなのもではないかと内心感じている。今の時代、コード層は、人間の体の中にまで入り込んでおり、クアリスに反乱を起こされると、クアリスに制御を任せている以上、<人工心臓>を抱えているコーイチローは一発で死に直面する。
 コーイチローは一二歳の時に交通事故で大きな手術を受けて当時の最新技術である<人工心臓>を身体に入れることになった初期患者の一人だ。その心臓の制御は、ビヨンドシステムと呼ばれる、人間の脳の演算能力を超えているコンピュータサーバ群に任せることで、はじめてなりたつ。いわば身体の一部をコンピュータ化したのだが、同時に、それは意志を持つコンピュータの日常への進入も意味してた。

「作者は、何となく自らが恵まれているとはいえ、現実の収入としては貧乏と感じていて、悩んでいるという印象がするね。食うに困るというほど貧しいわけではないけど、将来に対しての漠然とした不安を抱えているというか……、この後、自分の人生がどのように展開していくことになるのだろうということが予期できないことを恐れているというか……」
「それは作者の時代が抱えている特有の問題でもあると思われるのですがどうでしょうか」
「うん、いいたいことはわかる。教養というものに何か価値が発生するという時代は、どこか精神的なゆとりのようなものがなければいけない。だけど、作者の時代にはそういう余裕がなくなりつつあって、誰もが自分の生活や、自分のことばかりに関心を向かわなければならなくなってしまった。だから、自分だけが抜け駆けして、お金を得る手段がないだろうかと迷っている時代だよね」
「ええ、各家庭で自由に使えるお金である給料から税金や生活していく最低限の費用を差し引いた自由に使えるお金<可処分所得>が、減少が激しくなってきていた時期ですね。そして、戦後の団塊の世代ジュニアと呼ばれる人数が多い層が中年を迎える時期。それにもかかわらず、四〇%が結婚をしていないという状況で、子供も生まれなかった」
「だから、社会そのものに停滞感が広がって、何となくどう生きればいいのかという指標が失われようとしていた時機だよね」
 と、突然、コーイチローは天井に向かって言った。
「おっ、作者、原稿書けるじゃないか。もしかしたら調子がちょっと回復しつつあるじゃないのか。思うんだけどさ、結構、こうした対話形式はいい線を行っているんじゃないかと思うんだよ。自分の地に近いからさ。これをもう少し推し進めてみたらどうかな」
「はい、私の人格もより明瞭になりつつなりますよね。筆が書き始めるまでにどうしても時間がかかるということはよくわかっているので、そこまで持っていくのは大変だというのはわかっているのですが、それでも状況は絶望すべき状況ではなく、むしろ、可能性が見えてきたと言えるのではないでしょうか?」

 と、ちょっとだけコーイチローはにやりとしながら。
「このまま公開してしまうって方法は、どうだい? どうやって、ブログ等を利用すべきなのか、まだきちんと決め切れてないわけだろ。こういう対話自体のプロセスを見せることは決して悪いことではないと思うんだよ」
 クアリスも天井を仰ぎながら、少しばかり状況を感じ取ったようだった。
「作者が、迷いながら、こちらになら可能性があるのかもしれないと思い始めているような気配を感じていますよ。そこに書くという習慣を付けることによって、スキルアップできる可能性があるのではないかと」
「うん、正攻法で攻めるべきなんだよ。作者らしいね。これは通常で考えると変化球なんだけど、変化球こそが今の時代は正攻法なことは作者自身が知っていることだろう?」
 夕方に染まった空に、雲がたなびいていた。濃かった雲の帯は、もう少し緩やかになり、日が差すような印象になってきた。

0 件のコメント:

コメントを投稿